歴史に残る戦いの決戦地☆ 関ケ原合戦決戦地 不破郡関ケ原町

岐阜お出かけ情報

こんにちは。
9月に入り、まだまだ暑さが続いていますね。体調など崩してみえませんか?!
今日ご紹介するのは、不破郡関ケ原町にある「関ケ原合戦決戦地」です。

歴史的に有名な場所ですね。お出かけの際の参考にしてみてくださいね( *´艸`)☆

関ケ原の戦いとは…簡単解説 φ(。。)

小中学校において、日本の歴史を学習すると、「1600年には関ケ原の戦い」があったと必ず学習します。

豊臣秀吉の死後、その跡を継ぐ者がかなり幼少ということで、戦いが起きました。徳川家康率いる東軍と石田光成率いる西軍の戦いです。

西軍は約10万、東軍は約7万の兵がいたそうです。(誤差あり)

戦いの当初は、西軍の方が有利とされていましたが、西軍内の大名の中で寝返り、東軍に味方するものが現れたため、結局徳川家康率いる東軍の勝利となります。

多くの人が戦い、命を落としたということで、日本歴史に残る大きな戦いが行われた場所と言えます。

日本最大級の激戦が広げられた場所!!

 

岐阜県民ならば、誰もが岐阜県には「関ケ原の戦いがあった関ケ原町がある!」と知っている人がほとんどでしょう。しかし、その戦いがあった場所を訪れたことがある人は少ないのではないでしょうか。

実は、私も関ケ原の戦いが関ケ原町であったことは知っていましたが、どこの場所で行われたのかは知らず、行ったこともありませんでした。

今回、初めてその場所を見てきました!!

決戦の場所は、現在は、田園が広がる真ん中にありました。
「決戦地」と書かれた大きな旗、石碑が印象に残ります

道からは少し小高くなっており、芝生が敷かれた小さい広場のようになっています。

歴史的に有名な戦いの最後の決戦がここで行われたかと思うと、すごい場所だな~と感じました。

近くには、「石田光成軍」の陣地もありますよ。
日本の歴史を学ぶ上で外すことができない、関ケ原の戦い。その戦いの決戦となった場所をご紹介しました。学習したばかりの小学生のお子様などを連れていかれると、印象に残ること間違いなしです。より深く関ケ原の戦いについて知りたくなるかも…。

詳細

 

住所:岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原1202
駐車場:なし(すぐ近くの関ケ原笹尾山交流館にあり)
    ※路上駐車は禁止されておりますので、ご注意ください。
トイレ:なし(すぐ近くの関ケ原笹尾山交流館にあり)

バリアフリー:なし

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