こんにちは~(*´ω`*)
10月に入り、涼しさを感じる日も多くなり、過ごしやすくなってきましたね。
急に、寒暖差が生じて、体調を崩されている方もいるのではないでしょうか。寒暖差に気を付けて過ごしたいですね。
今日ご紹介するのは、お寺です。不破郡関ケ原町にある、「妙応寺」です。
お出かけの際の参考にしてもらえると幸いです。(⋈◍>◡<◍)。✧♡
閑静な境内を 是非1度散策してみよう♪
妙応寺へは、今須公衆トイレの前に車を停めて、参拝しに行きました。
新幹線のガードや歴史を感じさせるトンネルをくぐり抜けると、妙応寺の門が見えてきます。
道の脇には、緑に囲まれた川も流れています。
歴史を感じさせる門がお出迎え。
門からは想像できないほど、境内の中は広いです。
本堂へ向かう参道の左右には、白い石灯籠が幾対も並んでいます。春日型石灯籠というそうです。
境内の中は、玉砂利が敷かれ、参道から少し離れたところには、蓮の花の噴水のようなものもありました。
1歳の男の子も噴水に興味があり、ずっと眺めていました。
木々も多く植えられており、外の世界とは異なる閑静な空気が流れていました。
境内の中を歩いているだけでも気持ちが落ち着きました。
妙応寺の歴史 φ(。。)
妙応寺は1360年、当時の今須城の城主であった、長江重景が母親である妙応尼の菩提寺を弔うため、峨山禅師(当時の能登国総持寺、道元の4代後の弟子)を召還し開いたのが始まりとされています。
寺号は母の戒名にちなんでいます。
伝承によると、妙応尼は生前悪行を働いていた為(年貢を徴収する際は、大きな枡:1.3升枡で計り、与える時は小さな枡:0.8升枡で計ったとされる)、成仏出来ずこの世で古い御堂に棲み付き、毎晩のように悪鬼からとがめられていました。
大徹禅師(峨山禅師の法嗣)が巡錫の折、その御堂に泊まり一部始終を見て、長江重景に報告すると、母親の悪行を自らの善行によって打ち消す事を誓い、寺院を創建すると峨山禅師を開山者として招き、大徹禅師は2代目になったと伝えられています。
妙応寺は、領主の菩提寺として庇護され、寺運も隆盛したが、応仁の乱後長江家が没落すると庇護者を失い、一時衰退します。
関ケ原の戦いでは、戦場に近く被害を被る恐れがあったが、脇坂安治、小早川秀秋や徳川家康により制札で保護を受けていました。そのため、大きな被害を受けずに、現在まで存続しています。
妙応寺の寺の由来は、人の名前だったということが分かりました。今も昔も悪行をしないように気を付けなくてはいけませんね。
詳細
住所:〒503-1543岐阜県不破郡関ケ原町大字今須2591-1
電話番号:0584-43-5141
駐車場:あり
トイレ:あり
バリアフリー:なし
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