歴史民俗資料館と映画資料館が同じ建物に併設されている博物館をご存じでしょうか。岐阜県羽島市にある羽島市歴史民俗資料館・映画資料館は、1996年に開館した全国的にも極めて珍しい複合型の文化施設です。なぜ歴史と映画という一見異なる分野が一つの施設にまとめられているのか、その背景にはかつてこの地で愛された映画館「竹鼻朝日館」の存在と、約9万3千点にも及ぶ膨大な映画資料の発見がありました。入館無料で誰でも気軽にアクセスできるこの施設は、昭和の映画文化と羽島の郷土史を同時に体感できる貴重な場所とされています。
この記事でわかること
- 映画資料館が併設されている歴史的背景と竹鼻朝日館の物語
- 約9万3千点の映画コレクションと歴史民俗資料の見どころ
- 建物のデザインに込められた意味と展示内容
- 施設へのアクセス方法と周辺の観光スポット
羽島市歴史民俗資料館・映画資料館とは?基本情報と概要
全国的にも珍しい公立の映画資料館がある施設
羽島市歴史民俗資料館・映画資料館は、岐阜県羽島市竹鼻町に位置する複合型の博物館施設です。1996年(平成8年)2月23日に開館し、歴史民俗資料館と映画資料館が同じ建物の中に併設されているという、全国的にも極めて珍しい構造を持っています。公立の映画資料館は日本でも数少なく、映画ファンや歴史愛好家の間で密かに注目を集める文化施設となっています。名鉄竹鼻線の羽島市役所前駅から徒歩約5分というアクセスの良さも魅力のひとつで、気軽に立ち寄れる観光スポットです。
歴史資料と映画資料の圧倒的な収蔵数
この施設の最大の特徴は、その膨大な収蔵品の数にあります。歴史民俗資料館には円空仏や織物、輪中に関する郷土資料など合計約1万5千点が所蔵されています。一方の映画資料館には、なんと約9万3千点もの映画関連資料が収められており、昭和の映画文化を体感できる貴重な空間です。映画ポスターだけでも約9千種類・2万7千点にのぼり、昭和20年代から30年代に製造された大型映写機8台も常時展示されています。これほどの規模の映画コレクションを無料で見学できる施設は、日本広しといえどもなかなか見つかりません。
入館無料で楽しめる羽島市の文化拠点
羽島市歴史民俗資料館・映画資料館は入館料が無料という点も大きな魅力です。開館時間は午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)で、家族連れでもカップルでも一人旅でも気軽に楽しむことができます。休館日は月曜日と祝日の翌日、年末年始となっています。歴史に興味がある方はもちろん、昭和レトロな雰囲気を味わいたい方にもおすすめの施設で、羽島市が誇る文化発信の拠点として地域の方々にも親しまれています。
羽島市ってどんなまち?木曽川と長良川に囲まれた輪中地帯
資料館がある羽島市は、東の木曽川と西の長良川に挟まれた輪中地帯に位置する岐阜県南部の都市です。天正14年(1586年)の大洪水によって木曽川の流路が大きく変わり、現在のように二つの大河川に囲まれた地形が形成されました。古くから水害との闘いの歴史を持つ一方で、美濃路の宿場町として栄え、織物産業でも発展してきた街です。新幹線の岐阜羽島駅があることでも知られ、交通の要衝としての役割も担っています。このような羽島市の豊かな歴史と文化を伝える場所が、歴史民俗資料館・映画資料館なのです。
なぜこの記事を読むべきなのか
この記事では、羽島市歴史民俗資料館・映画資料館がなぜ映画資料館を併設しているのか、その歴史的背景から展示内容の魅力、建物のデザインに込められた意味、そしてアクセス方法まで徹底的に解説します。「なぜ羽島市に映画資料館があるのか」という素朴な疑問を入口に、羽島市の知られざる映画文化の歴史、円空や輪中といった岐阜ならではの郷土文化、さらには竹ヶ鼻城にまつわる戦国の物語まで、幅広い知識を得ることができます。岐阜県への観光を考えている方はもちろん、昭和の映画文化や地方の歴史に興味がある方にとっても必読の内容です。
なぜ映画資料館が併設されているのか?竹鼻朝日館の歴史
昭和の映画全盛期を支えた竹鼻朝日館とは
羽島市に映画資料館が存在する理由を理解するためには、かつてこの地にあった映画館「竹鼻朝日館」の歴史を知る必要があります。竹鼻朝日館は1934年(昭和9年)に開館した映画館で、当時の羽島郡竹ヶ鼻町(現在の羽島市)の文化・娯楽の中心地として大いに賑わいました。戦前から戦後にかけての映画全盛期、竹鼻の人々にとって朝日館は単なる映画館ではなく、地域コミュニティの核となる存在でした。家族で映画を楽しみ、近所の人々と感想を語り合う、そんな昭和の風景がこの場所には確かにありました。
📜 歴史メモ
竹鼻朝日館は大正時代に開館した映画館で、最盛期には700席以上を擁する岐阜県内有数の大型劇場でした。昭和57年(1982年)の閉館後、約9万3千点にのぼる貴重な映画資料が発見され、その保存が羽島市の映画資料館設立のきっかけとなりました。
竹鼻朝日東映への改称と閉館までの道のり
1958年(昭和33年)、竹鼻朝日館は「竹鼻朝日東映」に改称し、東映系の映画を中心に上映する映画館として新たなスタートを切りました。しかし、テレビの普及や娯楽の多様化により、全国の地方映画館と同様に観客数は次第に減少していきます。そして1971年(昭和46年)、竹鼻朝日東映はついに閉館を迎えることとなりました。約37年にわたって地域の映画文化を支えてきた映画館の歴史に幕が下ろされたのです。閉館後、館内からは膨大な量の映画ポスターや映写機、フィルムなどの貴重な資料が発見されました。
貴重な映画資料の発見と保存への取り組み
竹鼻朝日館の閉館後に発見された映画資料は、その量と質において驚くべきものでした。昭和初期から高度経済成長期にかけての映画ポスターや宣伝チラシ、プログラム、映写機といった資料は、日本映画史を語る上で極めて貴重なものばかりです。羽島市はこれらの資料の歴史的・文化的価値を認め、散逸させることなく体系的に保存する決断を下しました。単に倉庫に保管するのではなく、市民や来訪者が実際に見て触れて学べる形で公開することが重要だと考えたのです。この決断が、後の映画資料館の設立へとつながっていきます。
歴史民俗資料館との複合施設として誕生
羽島市は、映画資料の保存・公開と、それまで分散していた郷土の歴史民俗資料の集約展示を同時に実現するため、両者を一つの建物に併設する複合施設の建設を決定しました。こうして1996年(平成8年)に誕生したのが、現在の羽島市歴史民俗資料館・映画資料館です。竹鼻朝日館があったこの土地の記憶を受け継ぎながら、新たな文化発信拠点として生まれ変わったのです。歴史民俗資料館と映画資料館という一見異なる二つの施設が併設されている理由は、まさにこの土地の歴史そのものに深く根ざしているのです。
全国でも稀有な公立映画資料館の意義
日本には民間の映画関連施設はいくつか存在しますが、自治体が運営する公立の映画資料館は非常に珍しい存在です。羽島市がこの映画資料館を公立施設として維持し続けていることには、地域の映画文化遺産を次世代に継承するという強い意志が込められています。入館無料で誰でも気軽にアクセスできる環境を整えることで、映画に馴染みのない若い世代にも昭和の映画文化の魅力を伝えています。地方の小さな街が、これほど充実した映画資料を守り続けているという事実は、日本の文化行政の好例として高く評価されています。
映画資料館の見どころ:9万3千点の貴重なコレクション
圧巻の映画ポスターコレクション
映画資料館の目玉は、なんといっても約9千種類・2万7千点にも及ぶ映画ポスターのコレクションです。昭和初期の手描きポスターから高度経済成長期のカラフルなデザインまで、日本映画の歴史を視覚的にたどることができます。時代劇の勇壮なポスター、恋愛映画のロマンチックなデザイン、怪獣映画の迫力ある構図など、それぞれの時代の空気感が色濃く反映されたポスターの数々は、映画ファンならずとも見入ってしまう魅力があります。常設展示では定期的にテーマを変えてポスターが入れ替えられるため、何度訪れても新しい発見があるのが嬉しいポイントです。
昭和の大型映写機が語る映画上映の歴史
映画資料館には、昭和20年代から30年代に製造された大型映写機が8台も展示されています。これらの映写機は、かつて竹鼻朝日館で実際に使用されていたもので、重厚な金属製のボディからは当時の映画上映技術の粋を感じ取ることができます。フィルムを一コマずつ送り出し、光を通してスクリーンに映像を映し出すというアナログな仕組みは、デジタル上映が主流となった現代では見ることが難しくなっています。映写機の前に立つと、暗い映写室でフィルムを回し続けた映写技師の姿が目に浮かぶようです。
映画チラシ・プログラム・関連グッズの世界
ポスターや映写機以外にも、映画資料館には映画チラシやプログラム、パンフレットなど多種多様な関連資料が収蔵されています。映画のチラシは、作品の魅力を限られたスペースで伝えるための工夫が凝らされており、グラフィックデザインの歴史としても興味深い資料です。上映プログラムには当時の上映スケジュールや料金、観客向けのコラムなどが掲載されており、昭和の映画館がどのような空間だったのかを生き生きと伝えてくれます。これらの紙資料は湿度や温度の管理が難しく、保存状態の良いものが一堂に会している点でも学術的な価値は計り知れません。
昭和レトロな映画看板と手描きの技術
かつての映画館には、画家が一枚一枚手描きで仕上げた映画看板が掲げられていました。映画資料館では、こうした手描き看板の文化についても紹介されています。印刷技術が十分に発達していなかった時代、映画館の看板絵師たちは限られた時間の中でスターの顔を描き上げ、作品の世界観を一枚の絵で表現しました。そのダイナミックな筆遣いと色彩感覚は、現代のデジタルデザインとはまったく異なる温かみと迫力を持っています。映画が人々の最大の娯楽だった時代の熱気が、こうした看板から今なお伝わってきます。
歴史民俗資料館の展示内容:円空・織物・輪中の世界
円空仏の魅力:素朴な木彫りに宿る祈り
歴史民俗資料館の展示の中で特に注目すべきは、円空仏に関するコーナーです。円空は江戸時代前期の僧侶で、生涯で12万体もの木彫り仏像を刻んだとされる伝説的な人物です。岐阜県は円空の活動拠点であり、羽島市周辺にも数多くの円空仏が残されています。一刀彫りの荒々しくも温かみのある造形は、寺院の格式張った仏像とは一線を画す独特の美しさを持っています。資料館では、円空の生涯や制作技法についての解説とともに、実物の円空仏を間近で鑑賞することができ、その素朴な表情に心を打たれる来館者も少なくありません。
円空は生涯で約12万体もの仏像を彫ったとされますが、現存が確認されているのは約5,300体です。そのうち岐阜県内で発見されたものが最も多く、特に羽島市周辺は円空の活動拠点のひとつであったと考えられています。
羽島の織物文化:絹の産地としての誇り
羽島市は古くから織物産業が盛んな地域として知られ、特に正絹の生産では高い評価を得てきました。歴史民俗資料館では、羽島の織物文化の歴史と技術について詳しく紹介しています。糸を紡ぎ、染め、織るという一連の工程を示す道具や製品が展示され、職人たちの手仕事の精緻さを実感することができます。明治期以降、羽島の織物産業は近代化の波に乗って発展し、全国有数の織物産地としての地位を確立しました。しかし、安価な輸入品との競争や産業構造の変化により、現在では往時の賑わいは薄れています。資料館の展示は、こうした羽島の織物文化の記憶を未来へ伝える重要な役割を果たしています。
輪中の暮らし:水害と共存した人々の知恵
羽島市の歴史を語る上で欠かせないのが「輪中」の文化です。輪中とは、河川の氾濫から集落を守るために堤防で周囲を囲んだ地域のことで、木曽川と長良川に挟まれた羽島市はまさに典型的な輪中地帯です。資料館では、輪中に暮らした人々がいかにして水害から命と財産を守ってきたかを、模型や写真、実物の道具を用いて分かりやすく展示しています。洪水時に家財道具を2階に上げるための「上げ舟」や、水位の上昇を知らせるための仕組みなど、先人たちの知恵と工夫には目を見張るものがあります。水と共に生きるという日本の原風景が、ここには凝縮されています。
| 展示エリア | 主な展示内容 | 見どころ |
|---|---|---|
| 映画資料館 | 映画ポスター・映写機・チラシ | 昭和の大型映写機 |
| 円空展示 | 円空仏・木彫り作品 | 素朴な微笑みの仏像群 |
| 織物展示 | 美濃縞・機織り道具 | 絹の産地としての歴史 |
| 輪中展示 | 堤防模型・水防道具 | 水害と共存した暮らし |
宝暦治水と薩摩藩士の悲劇
歴史民俗資料館では、羽島市周辺の治水の歴史についても重要な展示が行われています。中でも宝暦治水事件は、この地域の歴史において忘れてはならない出来事です。宝暦4年(1754年)、幕府の命により薩摩藩が木曽三川の治水工事を担当しましたが、過酷な労働条件と幕府の厳しい監視のもとで多くの藩士が命を落としました。工事の総奉行であった平田靱負は、工事完了後に責任を取って自害したと伝えられています。この悲劇的な歴史は、現在の岐阜県と鹿児島県の友好関係の礎となっており、資料館の展示を通じてその史実を知ることができます。
美濃路の宿場町としての竹鼻の姿
羽島市の竹鼻地区は、かつて美濃路の宿場町として栄えた歴史を持っています。美濃路は東海道の宮宿(熱田)から中山道の垂井宿を結ぶ脇往還で、参勤交代や朝鮮通信使の通行路としても利用された重要な街道でした。竹鼻はこの美濃路沿いに位置し、旅人や商人で賑わう交通の要衝として発展しました。資料館には、当時の宿場の様子を伝える絵図や文書、旅道具などが展示されており、往時の竹鼻の活気ある姿を偲ぶことができます。現在でも竹鼻の町並みには、かつての宿場町の面影を残す建物や路地が点在しています。
建物のデザインに隠された意味:竹鼻朝日館と竹ヶ鼻城
南側のファサード:竹鼻朝日館をモチーフにしたデザイン
羽島市歴史民俗資料館・映画資料館の建物は、単なる展示施設ではなく、その外観自体が羽島市の歴史を物語る作品となっています。建物の南側正面は、かつてこの地にあった映画館・竹鼻朝日館のファサードをモチーフにデザインされています。昭和の映画館が持っていた華やかさと風格を現代の建築技術で再解釈し、訪れる人々に映画文化の記憶を呼び起こす仕掛けとなっています。建物に近づくだけで、かつてここに映画館があったことを直感的に感じ取れる、優れた建築デザインです。
西側の外観:竹ヶ鼻城をモチーフにした城郭風デザイン
建物の西側に目を向けると、雰囲気が一変します。こちらは戦国時代にこの地に存在した竹ヶ鼻城をモチーフにした城郭風のデザインが施されています。竹ヶ鼻城は応仁年間(1467~1469年)に竹腰尚隆によって築かれた城で、小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いの前哨戦の舞台となった歴史的に重要な城です。建物の西側にこの城のイメージを取り入れることで、羽島市が持つ戦国時代の歴史的側面を来館者に印象づけています。映画と城という異なるモチーフが一つの建物に共存している点が、この施設の独自性を際立たせています。
竹ヶ鼻城の歴史:豊臣秀吉の水攻めと関ヶ原前哨戦
竹ヶ鼻城は、戦国時代に数々のドラマチックな戦いの舞台となりました。1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いでは、織田信雄の配下・不破広綱が城主を務めていましたが、豊臣秀吉による水攻めを受けて落城しました。木曽川と長良川に挟まれた低地という地形を利用した秀吉の戦略は、備中高松城の水攻めと並ぶ有名な戦術として知られています。さらに1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い直前には、東軍の福島正則によって攻囲され、西軍の城主・杉浦重勝が自害するという悲劇が繰り広げられました。
二つの歴史が交差する建築の妙
竹鼻朝日館と竹ヶ鼻城という、時代も性格もまったく異なる二つの歴史的建造物のイメージを一つの建物に融合させた設計は、羽島市の文化的な厚みを見事に表現しています。南側から見れば昭和の映画文化、西側から見れば戦国時代の歴史という、異なる時代の記憶が同居する建物は、まさに羽島市という街の多層的な歴史そのものを象徴しています。建築を通じて歴史を語るという発想は、単なる箱物行政を超えた文化的な意匠であり、建物そのものが一つの展示品となっているのです。来館の際は、ぜひ建物の外観にも注目してみてください。
毎月の映画上映会と体験イベントの魅力
毎月第2土曜日の映画上映会
映画資料館では、毎月第2土曜日に映画上映会が開催されています。1日2回の上映が行われ、懐かしの名作映画を大きなスクリーンで楽しむことができます。上映作品は毎年12月から1月にかけて来館者にアンケートを実施し、リクエストが多かった作品を中心に年間12本の映画が選定されるという民主的な方式がとられています。来館者の声が直接上映ラインナップに反映される仕組みは、地域に根差した文化施設ならではの取り組みです。上映会は無料で参加できるため、毎月楽しみに通うリピーターも多いといいます。
季節ごとの企画展示とテーマ展
常設展示に加えて、映画資料館・歴史民俗資料館では季節ごとに企画展示やテーマ展が開催されています。映画資料館では特定の映画監督や俳優にスポットを当てた特集展示が行われることがあり、普段は収蔵庫に保管されている貴重な資料が特別に公開されることもあります。歴史民俗資料館側でも、地域の祭りや年中行事に合わせた企画展が催され、羽島市の四季折々の文化を深く知る機会が提供されています。企画展の情報は公式サイトや館内の掲示で確認できるので、訪問前にチェックしておくとより充実した見学ができます。
子どもから大人まで楽しめる体験プログラム
資料館では、展示を「見る」だけでなく「体験する」ことにも力を入れています。映画の仕組みを学ぶワークショップや、昔の道具に触れる体験コーナーなど、子どもから大人まで楽しみながら学べるプログラムが用意されています。特に夏休み期間中には、小中学生を対象とした特別企画が催されることもあり、自由研究の題材としても人気があります。映写機の仕組みを実際に見たり、昭和の生活道具に触れたりする体験は、教科書では学べない生きた歴史教育として大きな価値を持っています。
地域コミュニティの文化交流の場として
映画上映会や企画展を通じて、羽島市歴史民俗資料館・映画資料館は地域のコミュニティスペースとしての機能も果たしています。映画上映会の後には観客同士が感想を語り合う光景も見られ、世代を超えた文化交流の場となっています。高齢の来館者が若い世代に昭和の映画館の思い出を語り、子どもたちがその話に目を輝かせるという場面は、この施設ならではの風景です。デジタル化が進む現代において、実物の資料を前にして人々が交流するアナログな空間の価値は、ますます高まっているといえるでしょう。
羽島市の歴史を知る:竹ヶ鼻城と美濃路の物語
応仁の乱の時代に築かれた竹ヶ鼻城
竹ヶ鼻城は、応仁年間(1467~1469年)に竹腰尚隆によって築城されたと伝えられています。応仁の乱の混乱期に、尾張国葉栗郡の地に築かれたこの城は、その後の美濃国の政治情勢に大きな影響を与える存在となりました。1586年(天正14年)の木曽川の大氾濫により川の流路が南に移動したことで、竹ヶ鼻城は尾張国から美濃国に属することとなりました。自然の力によって国境が変わるという劇的な出来事は、木曽三川流域ならではの歴史的エピソードです。現在、城跡は羽島市竹鼻町に位置し、往時の姿を偲ぶことができます。
天正14年の大洪水と輪中地帯の形成
1586年(天正14年)に発生した大洪水は、羽島市の歴史を決定づける大きな転換点でした。この洪水により木曽川の流路が大きく南に移動し、東の木曽川と西の長良川に囲まれた現在の羽島市の地形が形成されました。二つの大河川に挟まれた土地は、豊かな水田地帯であると同時に常に水害の脅威にさらされる場所でもありました。人々は堤防を築いて集落を守る「輪中」という独自の防災システムを発達させ、水と共存する暮らしの知恵を培っていきました。この輪中文化は、濃尾平野の低地帯に特有の文化遺産として、今日まで語り継がれています。
美濃路と竹鼻宿の繁栄
江戸時代、羽島市の竹鼻は美濃路の宿場町として発展しました。美濃路は東海道と中山道を結ぶ脇往還で、東海道の宮宿(現在の名古屋市熱田区)から中山道の垂井宿(現在の不破郡垂井町)までの約58キロメートルを結んでいました。参勤交代の大名行列や朝鮮通信使の一行がこの道を往来し、竹鼻宿は旅人たちの休息の場として賑わいました。宿場には旅籠や茶屋が軒を連ね、街道沿いには商家も多く立ち並んでいたと伝えられています。こうした交通の要衝としての歴史が、竹鼻の町の文化的な豊かさの基盤を築いたのです。
竹鼻祭りと山車の伝統
羽島市の歴史を語る上で外せないのが、毎年5月に開催される竹鼻祭りです。竹鼻祭りは竹鼻別院の藤まつりと合わせて行われる伝統的な祭りで、精巧な彫刻や装飾が施された豪華な山車(だし)が町内を巡行します。山車の上ではからくり人形が演じられ、その精密な動きは見る者を魅了します。この祭りの歴史は江戸時代にまで遡り、宿場町として栄えた竹鼻の経済力と文化的な成熟度を物語っています。歴史民俗資料館では、竹鼻祭りに関する資料や山車の装飾品なども展示されており、祭りの歴史的背景を深く理解することができます。
円空の足跡をたどる:羽島市と円空仏の深い関わり
円空とは何者か:12万体の仏像を刻んだ遊行僧
円空(1632~1695年)は、美濃国(現在の岐阜県)に生まれたとされる江戸時代前期の僧侶・仏師です。生涯で12万体もの仏像を刻むという壮大な誓願を立て、日本各地を遊行しながら木彫り仏像を制作し続けました。北海道から近畿地方に至るまで、円空が残した仏像は全国に約5,300体が現存しています。その作風は、丸太を大胆に割り、最小限の刀数で仏の姿を表現するという独自のもので、一般的な仏像の精緻な造形とは一線を画しています。荒々しい刀跡の中に温かみのある微笑みを宿す円空仏は、民衆の仏像として広く親しまれてきました。
なぜ羽島市に円空仏が多いのか
岐阜県は円空の出生地とされ、県内には全国でも最も多くの円空仏が残されています。中でも羽島市周辺は円空が活動の拠点とした地域のひとつで、市内の寺社や民家に数多くの円空仏が伝わっています。円空は晩年を美濃国で過ごしたとされ、関市の弥勒寺で入定(にゅうじょう:僧侶が瞑想のまま命を終えること)したと伝えられています。羽島市はその活動圏内に位置しており、円空が各地の寺社を巡りながら仏像を奉納していった足跡が色濃く残っているのです。資料館の展示を通じて、この地と円空の深い結びつきを知ることができます。
中観音堂と羽島円空資料館
羽島市内で円空仏をさらに深く知りたい方には、中観音堂と羽島円空資料館の訪問もおすすめです。中観音堂には円空作の木造聖観音菩薩立像をはじめとする複数の円空仏が安置されており、その迫力ある造形を間近で拝観することができます。隣接する羽島円空資料館では、円空の生涯と作品に関するより詳細な展示が行われています。歴史民俗資料館と合わせて訪れることで、羽島市における円空文化の全体像を把握することができるでしょう。円空仏巡りは、岐阜県を訪れる歴史愛好家にとって外せないテーマのひとつです。
円空仏の魅力を現代に伝える取り組み
羽島市では、円空仏の魅力を現代に伝えるためのさまざまな取り組みが行われています。歴史民俗資料館での展示はもちろんのこと、円空仏の彫刻体験教室や講演会なども定期的に開催されており、実際にノミを手に取って木を彫る体験を通じて円空の制作プロセスを追体験することができます。また、市内各所に点在する円空仏を巡るウォーキングコースも整備されており、歴史散歩を楽しみながら円空の足跡をたどることも可能です。こうした取り組みにより、江戸時代の遊行僧が残した文化遺産は、現代の羽島市においても生き続けているのです。
アクセス・駐車場・周辺観光スポット情報
電車でのアクセス:名鉄竹鼻線が便利
羽島市歴史民俗資料館・映画資料館へ電車でアクセスする場合、名鉄竹鼻線の羽島市役所前駅が最寄り駅です。駅から徒歩約5分という好立地にあるため、電車での訪問が非常に便利です。名鉄名古屋駅からは名鉄名古屋本線で笠松駅まで行き、竹鼻線に乗り換えて羽島市役所前駅で下車します。所要時間は約40分程度です。JR東海道新幹線の岐阜羽島駅からもアクセスが可能で、岐阜羽島駅から名鉄竹鼻線の新羽島駅に徒歩で乗り換え、羽島市役所前駅へ向かうことができます。遠方からの訪問者にとっても、新幹線を利用すれば気軽にアクセスできる立地です。
📍 施設基本情報
所在地:岐阜県羽島市竹鼻町2624-1
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
入館料:無料
アクセス:名鉄竹鼻線「羽島市役所前」駅から徒歩約15分
車でのアクセスと駐車場情報
車でアクセスする場合は、名神高速道路の岐阜羽島インターチェンジから約10分で到着します。東海北陸自動車道を利用する場合は、岐阜各務原インターチェンジから国道21号線を経由して約30分です。資料館には無料の駐車場が完備されているため、駐車場の心配なくマイカーで訪れることができます。周辺の道路は比較的分かりやすい構造ですが、初めて訪れる方はカーナビに「羽島市歴史民俗資料館」と入力するか、住所「岐阜県羽島市竹鼻町2624-1」を設定するとスムーズに到着できるでしょう。
周辺の観光スポット:竹鼻別院と藤棚
資料館の周辺には、合わせて訪れたい観光スポットがいくつかあります。中でもおすすめは竹鼻別院です。竹鼻別院の境内には樹齢300年以上といわれる見事な藤の木があり、毎年4月下旬から5月上旬にかけて美しい藤の花を咲かせます。この藤は岐阜県の天然記念物にも指定されており、開花期間中は「美濃竹鼻まつり・ふじまつり」が開催されて多くの観光客で賑わいます。資料館から徒歩圏内にあるため、ふじまつりの時期に合わせて資料館と竹鼻別院を一緒に訪れるプランが特に人気です。
大賀ハスの名所・大賀ハス園も必見
羽島市のもうひとつの名所として、大賀ハス園があります。大賀ハスは、植物学者の大賀一郎博士が千葉県で発見した約2,000年前の古代ハスの種から開花に成功したもので、羽島市にはその株が分根されて植えられています。毎年7月上旬から下旬にかけて淡いピンク色の大輪の花を咲かせ、その神秘的な美しさは多くの来訪者を魅了します。歴史民俗資料館と合わせて大賀ハス園を訪れれば、羽島市の文化と自然を同時に満喫することができるでしょう。特に夏の早朝に訪れると、朝日に照らされたハスの花が最も美しく輝きます。
まとめ
羽島市歴史民俗資料館・映画資料館は、岐阜県羽島市が誇る全国的にも珍しい複合型の博物館施設です。なぜ映画資料館が併設されているのかという疑問の答えは、かつてこの地にあった映画館・竹鼻朝日館の歴史にありました。1934年に開館し、37年間にわたって地域の映画文化を支えた竹鼻朝日館の閉館後に発見された膨大な映画資料を、羽島市が公立施設として保存・公開する決断をしたことが、この稀有な施設の誕生につながったのです。
約9万3千点の映画資料と約1万5千点の郷土資料が収蔵されたこの施設では、昭和の映画ポスターや大型映写機から、円空仏、織物文化、輪中の暮らしまで、実に多彩な展示を楽しむことができます。建物自体も竹鼻朝日館と竹ヶ鼻城という二つの歴史的建造物をモチーフにしており、外観から内部まで羽島市の歴史が凝縮された空間となっています。入館無料でアクセスも良好なこの施設は、岐阜県観光の穴場スポットとして、映画ファンにも歴史愛好家にも自信を持っておすすめできる場所です。

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