戦国時代の「美濃の蝮」こと斎藤道三が最期を迎え、その娘・濃姫が信長のもとへと旅立った運命の地、鷺山(さぎやま)城。
岐阜城を望むこの小さな山城には、下剋上の世を駆け抜けた父娘の熱いドラマが刻まれています。現在は静かな公園として親しまれていますが、一歩足を踏み入れれば、土塁や空堀といった往時の遺構が、400年前の激動の歴史を今に伝えてくれます。
本記事では、道三がなぜこの城を隠居所に選んだのか、そして濃姫の婚礼に隠されたエピソードなど、鷺山城跡の見どころと歴史を詳しく解説します。
鷺山城跡とは?斎藤道三と濃姫ゆかりの歴史スポット

岐阜市北部にある鷺山城跡は、戦国時代の梟雄として知られる斎藤道三が晩年を過ごした城として知られています。また、道三の娘・濃姫(帰蝶)が織田信長のもとへ嫁いだ場所でもあり、戦国ファンにとっては見逃せない歴史スポットです。標高約68メートルの小高い山の上にある城跡からは、道三が築いた稲葉山城(現在の岐阜城)を望むことができ、歴史のロマンを感じられる場所となっています。
🏯 鷺山城跡の基本情報
所在地:岐阜県岐阜市鷺山
築城年:文治年間(1185年〜1190年)
築城者:佐竹秀義
廃城年:1556年(弘治2年)
遺構:土塁、堀、曲輪跡、城址碑
現状:鷺山公園として整備
鷺山城の歴史的背景
鷺山城の歴史は古く、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての文治年間(1185年〜1190年)に、佐竹常陸介秀義によって築城されたと伝えられています。佐竹秀義は常陸国(現在の茨城県)を本拠とする豪族でしたが、源頼朝との確執により美濃国に逃れ、この地に城を築いたとされています。鷺山という名前は、かつてこの山に多くの鷺が生息していたことに由来すると言われています。
その後、室町時代に入ると美濃国守護大名である土岐氏の支城として機能するようになりました。土岐氏の本拠地である川手城を守る重要な拠点として、戦略的に重要な位置を占めていたのです。鷺山は標高こそ68メートルと低いものの、周囲を一望できる立地は軍事拠点として理想的でした。
鷺山城が歴史の表舞台に登場するのは、戦国時代のことです。1525年(大永5年)、土岐頼武の弟・土岐頼芸が鷺山城を占拠し、斎藤道三らの支援を得て美濃国の実権を握りました。この出来事は、後に「美濃の蝮」と呼ばれる斎藤道三の台頭の始まりでもありました。この時代から鷺山城は単なる支城ではなく、美濃国の政治的中枢の一つとして重要性を増していくことになります。
斎藤道三と鷺山城の関係
斎藤道三は、油売りから身を起こし、美濃国の国主にまで上り詰めた戦国時代を代表する下剋上の武将です。「美濃の蝮(まむし)」の異名を持ち、その狡猾さと政治手腕は戦国大名の中でも際立っていました。道三は最初、僧侶として京都で学問を修めた後、油売りに転じて財を成しました。その後、美濃国に移り住み、長井規秀と名乗って土岐氏の家臣となります。
道三は土岐頼芸を支援して美濃国の実権を握り、やがて頼芸を追放して自らが美濃国の主となりました。稲葉山城(後の岐阜城)を居城として美濃国を治めた道三ですが、1548年(天文17年)に家督を嫡男の斎藤義龍に譲り、自らは鷺山城に隠居することになります。隠居とはいえ、道三が政治的影響力を完全に手放したわけではありませんでした。
道三が鷺山城を隠居所に選んだ理由としては、稲葉山城を見渡せる位置にあり、義龍の動向を監視できるという戦略的な意図があったとも言われています。実際、鷺山城跡からは岐阜城を望むことができ、両城の位置関係がよくわかります。道三は隠居後も美濃国の政治に口を出し続け、これが義龍との対立を深める一因となっていきました。鷺山城は道三にとって、単なる隠居所ではなく、政治的拠点としての役割も果たしていたのです。
鷺山城の城郭構造
鷺山城は、標高約68メートルの鷺山の山頂部に築かれた山城です。現在は市街地に囲まれていますが、当時は周囲を田畑に囲まれた独立した丘陵でした。城の構造は、山頂部に本丸を配置し、その周囲に腰曲輪を巡らせた典型的な中世山城の形式をとっていました。
本丸は東西約30メートル、南北約20メートルの規模で、現在城址碑が建っている場所がそれにあたります。本丸の南側には二の丸と考えられる曲輪があり、空堀で区切られていました。また、山の東麓には「鷺山館」と呼ばれる居館が設けられていました。鷺山館は東西約150メートル、南北約200メートルの広大な敷地を持ち、日常の政務や生活はこちらで行われていたと考えられています。
城の防御施設としては、土塁、空堀、竪堀が確認されています。特に城域の西側には複数の竪堀が設けられており、敵の侵入を防ぐ工夫がなされていました。これらの遺構は現在も一部が残されており、往時の城の姿を偲ぶことができます。
濃姫(帰蝶)と鷺山城|織田信長との政略結婚

鷺山城は、斎藤道三の娘・濃姫(帰蝶)が織田信長のもとへ嫁いだ場所としても知られています。濃姫は1535年頃に道三と小見の方(明智光継の娘)との間に生まれ、幼少期から美貌と聡明さで知られていたと伝えられています。母方は明智氏の出身であり、本能寺の変で信長を討った明智光秀とは従兄妹の関係にあったとされています。
濃姫の幼少期と教育
濃姫は父・道三の寵愛を受けて育ちました。道三は娘に武芸や学問を教え、政略結婚の駒としてだけでなく、一人の人間として成長させることを重視していたと言われています。当時の女性としては珍しく、馬術や弓矢にも長けていたという記録もあります。聡明で気丈な性格は、戦国の世を生き抜くうえで大きな武器となりました。
鷺山殿と呼ばれた濃姫
1549年(天文18年)2月24日、濃姫は鷺山城から尾張国の織田信長のもとへ嫁ぎました。この婚姻は、美濃国の斎藤氏と尾張国の織田氏との同盟を目的とした政略結婚でした。当時の信長は15歳、濃姫も同じく15歳前後であったと推定されています。若い二人の結婚は、両家の関係強化という政治的な意図が強いものでしたが、濃姫と信長の仲は良好であったと伝えられています。
濃姫が鷺山城から嫁いだことから、彼女は「鷺山殿」とも呼ばれるようになりました。この呼び名は、濃姫の出自を示す重要な称号として、現代に至るまで歴史書などで使用されています。また、美濃国から来た姫という意味で「濃姫」とも呼ばれ、こちらの呼び名が現代では最も広く知られています。
嫁入りの道中
濃姫が鷺山城から織田家の居城・那古野城(後の清洲城)へ向かう道のりは、美濃国と尾張国の境を越える長い旅でした。行列には多くの家臣や侍女が随行し、道三が用意した豪華な嫁入り道具も運ばれたと伝えられています。父・道三は娘を送り出す際、信長が将来大きな人物になることを見抜いていたとも言われ、「もし信長が本当のうつけ者であれば、この短刀で刺し殺せ」と短刀を渡したという逸話が残っています。これに対し濃姫は「この短刀は父上を刺すことになるかもしれません」と返答したとも伝えられ、気丈な性格を物語るエピソードとして語り継がれています。
📜 濃姫の呼び名
濃姫には複数の呼び名があります。「帰蝶(きちょう)」は幼名、「濃姫」は美濃から来た姫という意味、「鷺山殿」は鷺山城から嫁いだことに由来します。いずれも彼女の出自と婚姻を示す名前として使われています。
道三から信長への手紙
斎藤道三は、娘婿である織田信長の才能を高く評価していたと言われています。「うつけ者」と周囲から馬鹿にされていた信長を、道三だけは見抜いていたのです。1553年に行われた聖徳寺の会見で、道三は初めて信長と対面しました。派手な格好で現れた信長を見て周囲は嘲笑しましたが、道三は信長の本質を見抜き、「いずれ我が子供たちは信長の門前に馬をつなぐことになるだろう」と予言したと伝えられています。
この予言は後に的中しました。道三の死後、斎藤家は義龍、龍興と続きましたが、1567年に織田信長によって滅ぼされ、美濃国は信長の支配下に入りました。道三の慧眼の鋭さを示すエピソードとして、現在も語り継がれています。また、道三は長良川の戦いの直前、信長に宛てて美濃国を譲るという遺言状を送ったとも言われており、娘婿への信頼の深さがうかがえます。
濃姫のその後
濃姫が織田家に嫁いだ後の記録は非常に少なく、その生涯には多くの謎が残されています。1582年の本能寺の変で信長が討たれた後も、濃姫がどのような運命をたどったのかは定かではありません。一説には本能寺で信長と共に亡くなったとも、岐阜城に留まっていたとも、あるいは安土城で余生を過ごしたとも言われています。近年の研究では、「安土殿」という名で記録に残る女性が濃姫である可能性が指摘されており、1612年まで生存していたのではないかという説もあります。
道三と義龍の対立|長良川の戦いと鷺山城の廃城
斎藤道三が鷺山城に隠居した後、嫡男の斎藤義龍との関係は急速に悪化していきました。義龍は道三の実子ではなく、土岐頼芸の子であるという噂が流れたことも、父子の確執を深める一因となりました。この噂が事実かどうかは今も論争が続いていますが、当時の人々にとっては深刻な問題でした。
父子の対立の経緯
道三は義龍よりも弟たちを寵愛するようになり、義龍の廃嫡を考えるようになったとも言われています。道三の次男・孫四郎と三男・喜平次は、父の寵愛を受けて育ち、義龍にとっては大きな脅威でした。1555年(弘治元年)11月、義龍は弟たちを稲葉山城に呼び出し、謀殺するという暴挙に出ます。これに激怒した道三との対立は決定的となりました。
義龍は家臣団の多くを味方につけ、道三を鷺山城から追放することに成功しました。追い詰められた道三は、娘婿の織田信長に援軍を求めながら、稲葉山城の奪還を試みますが、家臣の多くが義龍側に寝返っていたため、思うようにはいきませんでした。
長良川の戦い(1556年)
1556年(弘治2年)4月20日、斎藤道三と斎藤義龍は長良川を挟んで激突しました。これが「長良川の戦い」です。道三の軍勢は約2,700人、対する義龍の軍勢は約17,500人と圧倒的な兵力差がありました。道三は不利な状況を承知の上で決戦に臨みましたが、多勢に無勢で次第に追い詰められていきます。
織田信長は義父・道三を救援するために軍を率いて美濃国に向かいましたが、道三が討たれた後に到着したため、間に合いませんでした。道三は奮戦むなしく討ち取られ、享年63歳とも73歳とも言われています。道三を討ち取ったのは義龍方の小牧源太という武将で、道三の首は義龍のもとへ届けられました。戦国を代表する梟雄の最期は、実の息子との戦いという悲劇的なものでした。
| 項目 | 斎藤道三軍 | 斎藤義龍軍 |
|---|---|---|
| 兵力 | 約2,700人 | 約17,500人 |
| 結果 | 敗北・道三討死 | 勝利 |
この戦いの後、鷺山城は廃城となりました。道三の隠居城としての役割を終え、以後は城として使用されることはありませんでした。城の建物は取り壊され、長い年月の間に自然に還っていきましたが、土塁や堀などの遺構は現在まで残されています。
長良川の戦いと信長の美濃攻略
道三の死後、斎藤義龍は美濃国を支配し続けましたが、1561年に35歳の若さで病死しました。後を継いだ斎藤龍興は若く経験不足であり、織田信長にとっては美濃攻略の好機となりました。信長は7年にわたる美濃攻めを行い、1567年に稲葉山城を陥落させて美濃国を手に入れました。道三の遺言通り、美濃国は娘婿の信長のものとなったのです。信長は稲葉山城を「岐阜城」と改名し、ここを拠点として天下統一への道を歩み始めることになります。
鷺山城跡の見どころと遺構
現在の鷺山城跡は「鷺山公園」として整備されており、市民の憩いの場となっています。城跡としての明確な建造物は残っていませんが、土塁や堀、曲輪の跡など、往時の面影を感じられる遺構がいくつか残されています。
城址碑と山頂の様子
鷺山の山頂には城址碑が建てられており、ここが鷺山城の本丸があった場所です。標高約68メートルとそれほど高くない山ですが、周囲を一望できる見晴らしの良い場所となっています。特に、約3キロメートル離れた岐阜城(稲葉山城)を望むことができ、道三が義龍の動向を監視していたという逸話に納得がいきます。
土塁と堀の遺構
鷺山城跡には、城の防御施設であった土塁や堀の遺構が一部残されています。特に山の東麓にあった「鷺山館」の跡地には、北側に大きな土塁が残されており、かつての城郭の規模を想像させます。鷺山館は東西約150メートル、南北約200メートルの大規模な施設であったと推定されています。
🔍 見どころポイント
- 山頂の城址碑:本丸跡に建てられた石碑
- 岐阜城の眺望:道三が見張っていたとされる景色
- 土塁跡:鷺山館北側に残る防御施設の跡
- 空堀:南北の郭を分断する堀の跡
- 竪堀:城域西側に張り巡らされた防御施設
道三岩・濃姫岩
鷺山公園内には「道三岩」「濃姫岩」と呼ばれる岩が残されています。これらは斎藤道三と濃姫にちなんで名付けられたもので、往時の城の遺構の一部であると考えられています。ただし、現地には詳しい説明板がないため、事前に情報を調べてから訪れることをおすすめします。
北野神社と道三慰霊碑
鷺山の麓にある北野神社の前には、斎藤道三の慰霊碑が建てられています。道三を偲ぶ参拝者が訪れる場所となっており、城跡散策と合わせて立ち寄りたいスポットです。
鷺山城跡と新幹線建設の関係
鷺山城跡は、1964年(昭和39年)に大きな変化を経験しました。東海道新幹線や名神高速道路の建設に際し、建設用土砂の採取のために鷺山の一部が削り取られたのです。この工事の際に、鷺山城の礎石と思われる石が発見されており、かつてここに城郭が存在した証拠となっています。
現在残っている鷺山は、かつての姿より小さくなっていますが、それでも城跡としての価値は失われていません。むしろ、新幹線建設という近代史の一ページと戦国時代の歴史が交差する、興味深いスポットとなっています。
鷺山城跡へのアクセス方法

鷺山城跡は岐阜市の中心部からも比較的アクセスしやすい場所にあります。車でも公共交通機関でも訪れることができますので、それぞれの方法を詳しく解説します。
車でのアクセス
車で訪れる場合、東海北陸自動車道の岐阜各務原ICから約30分で到着します。岐阜市街地からは約15分程度です。カーナビには「鷺山公園」または「北野神社(岐阜市鷺山)」と入力すると良いでしょう。
| 出発地 | ルート | 所要時間 |
|---|---|---|
| 岐阜各務原IC | 国道21号経由 | 約30分 |
| JR岐阜駅 | 一般道 | 約15分 |
| 岐阜城 | 一般道 | 約10分 |
駐車場情報
鷺山城跡(鷺山公園)には専用の大規模駐車場がありませんが、いくつかの駐車オプションがあります。
🅿️ 駐車場情報
①鷺山公民館駐車場:道を挟んだ南側、アスファルト舗装で駐車しやすい
②北野神社駐車場:神社参拝者向け、台数は少なめ
③白山神社裏駐車場:白山神社の裏手に駐車可能
※注意:周辺の道路は狭いので運転に注意が必要
電車・バスでのアクセス
公共交通機関を利用する場合は、JR岐阜駅または名鉄岐阜駅からバスを利用します。岐阜バスの市内ループ線に乗車し、「鷺山玉川町」バス停または「緑ヶ丘」バス停で下車します。バス停からは徒歩10〜15分で城跡に到着します。バスは約20分間隔で運行しており、比較的利用しやすいです。
登城ルート
鷺山への登城ルートは主に2つあります。ひとつは鷺山小学校正門付近からのルート、もうひとつは北野神社側の鷺山公園からのルートです。初めて訪れる方には、鷺山公園側からのルートがおすすめです。こちらのルートからは岐阜城を望みながら登ることができ、道三が見ていた景色を追体験できます。山頂までは約10分程度で到着します。
鷺山城跡と合わせて訪れたい周辺スポット
鷺山城跡を訪れる際には、斎藤道三や戦国時代にゆかりのある周辺スポットも合わせて巡ると、より深く歴史を楽しむことができます。
岐阜城(稲葉山城)
鷺山城跡から約3キロメートルの距離にある岐阜城は、斎藤道三が居城とした城です。道三は鷺山城に隠居後もこの城を監視していたと言われており、両城を合わせて訪れることで、道三の晩年の生活をより深く理解することができます。金華山ロープウェーで山頂まで登ることができ、天守閣からは濃尾平野を一望できます。1567年に織田信長がこの城を攻め落とし「岐阜」と命名して以降、天下統一の拠点として重要な役割を果たしました。現在の天守閣は1956年に再建されたもので、岐阜市のシンボルとして親しまれています。
道三塚
長良川の戦いで討ち取られた斎藤道三の首塚が「道三塚」として岐阜市道三町に残されています。道三の首は義龍によって長良川のほとりに埋められ、後に供養のために塚が築かれました。現在は小さな公園として整備されており、道三を祀る石碑や説明板が設置されています。道三の最期を偲ぶ場所として、歴史ファンが訪れるスポットとなっており、鷺山城跡から車で約10分の距離にあります。
常在寺
常在寺は斎藤道三の菩提寺で、道三と義龍の位牌が祀られています。日蓮宗の寺院で、道三が美濃を治めていた時代から斎藤家と深い関係がありました。境内には道三の肖像画(重要文化財)も所蔵されており、道三ゆかりの品々を見ることができます。岐阜市中心部にあり、アクセスも便利です。
| スポット名 | 鷺山城跡からの距離 | 見どころ |
|---|---|---|
| 岐阜城 | 約3km | 道三の居城、天守閣からの眺望 |
| 道三塚 | 約4km | 道三の首塚 |
| 常在寺 | 約5km | 道三の菩提寺、肖像画 |
| 長良川 | 約2km | 道三最期の地 |
鷺山城跡を訪れる際の注意点
鷺山城跡を訪れる際には、いくつかの注意点があります。快適に散策するために、事前に把握しておきましょう。
周辺道路の狭さ
鷺山城跡周辺、特に北野神社付近の道路は非常に狭いです。車で訪れる場合は、対向車とのすれ違いが難しい箇所もありますので、運転には十分注意してください。大型車での訪問は避けた方が無難です。
説明板の少なさ
鷺山城跡には、遺構に関する説明板がほとんど設置されていません。土塁や堀、道三岩・濃姫岩などの見どころは、事前に情報を調べてから訪れないと見逃してしまう可能性があります。本記事やガイドブック、城跡専門サイトなどで予習してから訪れることをおすすめします。
山道の歩きやすさ
鷺山は標高約68メートルの低山で、山頂までは約10分程度で登れます。ただし、山道は整備されているとはいえ土や石の道ですので、歩きやすい靴で訪れることをおすすめします。特に雨の後は滑りやすくなりますので注意が必要です。
⚠️ 訪問時の注意点まとめ
- 周辺道路が狭いので運転注意
- 説明板が少ないので事前予習がおすすめ
- 歩きやすい靴で訪れる
- 夏場は虫除け対策を
- トイレは鷺山公園内にあり
鷺山城跡のよくある質問(FAQ)

鷺山城跡を訪れる前に知っておきたい、よくある質問をまとめました。
Q. 鷺山城跡の読み方は?
A.「さぎやまじょうあと」と読みます。「さぎやま」は鷺(さぎ)という鳥が多く生息していたことに由来します。地元では「鷺山」の山名で親しまれており、城跡は「鷺山公園」として整備されています。
Q. 見学にはどのくらいの時間が必要ですか?
A. 山頂の城址碑を見るだけなら30分〜1時間程度で十分です。土塁や堀の遺構をじっくり見学したい場合は1〜2時間を見込んでおくと良いでしょう。周辺の北野神社や道三慰霊碑も合わせて見学する場合は、2時間程度は確保しておくことをおすすめします。
Q. 入場料は必要ですか?
A. 鷺山城跡(鷺山公園)の見学は無料です。24時間いつでも訪れることができますが、夜間は照明がないため明るい時間帯の訪問がおすすめです。
Q. トイレはありますか?
A. 鷺山公園内に公衆トイレがあります。山頂付近にはありませんので、登山前に利用しておくことをおすすめします。
Q. 子供連れでも楽しめますか?
A. 標高約68メートルの低山なので、小学生以上であれば問題なく登れます。ただし、山道には手すりがない箇所もありますので、小さなお子様は保護者の方と手をつないで歩くことをおすすめします。山頂からの眺めは子供にも好評で、岐阜城を指差しながら歴史の話をするのも良い思い出になるでしょう。
Q. 御城印はありますか?
A. 鷺山城跡では御城印は販売されていません。岐阜城では御城印が販売されていますので、両城を巡る際には岐阜城で入手されることをおすすめします。
鷺山城跡の口コミ・訪問者の声
実際に鷺山城跡を訪れた方々の感想をご紹介します。
歴史ファンからの声
「斎藤道三と濃姫ゆかりの地ということで訪れました。山頂からは岐阜城がはっきり見え、道三が義龍を監視していたという話に納得しました。戦国時代の息吹を感じる静かな場所でした」(40代男性)
「大河ドラマの影響で濃姫に興味を持ち訪問。説明板が少ないので事前に調べてから行くことをおすすめします。道三岩・濃姫岩を探すのも楽しかったです」(30代女性)
ハイキング目的の訪問者
「低山なので気軽にハイキングできました。山頂からの眺めは素晴らしく、岐阜市街を一望できます。桜の季節は特に美しいそうなので、また春に訪れたいです」(50代女性)
「鷺山公園として地元の方に親しまれている場所で、散歩やジョギングをしている人も多かったです。歴史と自然の両方を楽しめる穴場スポットですね」(20代男性)
城跡マニアからの声
「土塁や空堀の遺構が思った以上に残っていて興奮しました。特に鷺山館跡の北側に残る土塁は見応えがあります。派手な観光地ではありませんが、城跡好きには満足できる場所です」(60代男性)
季節ごとの鷺山城跡の楽しみ方
鷺山城跡は四季を通じて異なる魅力を見せてくれます。訪問時期によって異なる楽しみ方ができますので、参考にしてみてください。
春(3月〜5月)
春は桜の季節です。鷺山公園には桜の木が植えられており、4月上旬には美しい桜と城址碑のコラボレーションを楽しむことができます。桜越しに見る岐阜城の姿は格別で、多くのカメラマンが訪れます。気候も穏やかで散策に最適な季節です。
夏(6月〜8月)
夏場は緑が濃くなり、木陰が涼しく感じられます。ただし、虫が多くなるため虫除け対策が必須です。また、熱中症予防のため、水分補給をしっかり行い、帽子をかぶるなどの対策をしましょう。早朝や夕方の涼しい時間帯の訪問がおすすめです。
秋(9月〜11月)
秋は紅葉の季節です。11月中旬〜下旬には山の木々が色づき、城跡散策がより一層楽しめます。気候も過ごしやすく、歴史散策には最適な季節と言えるでしょう。岐阜城周辺も紅葉スポットとして知られているため、両城を巡る紅葉狩りコースもおすすめです。
冬(12月〜2月)
冬は木の葉が落ちて見通しが良くなり、城の縄張りや遺構がわかりやすくなります。城跡マニアには冬の訪問がおすすめです。空気が澄んでいるため、山頂からの眺望も格別です。ただし、冷え込むことがあるので防寒対策は万全にしていきましょう。
📅 季節別おすすめポイント
- 春:桜と城址碑の共演、穏やかな気候での散策
- 夏:緑豊かな木陰、早朝・夕方の訪問がおすすめ
- 秋:紅葉と城跡の共演、過ごしやすい気候
- 冬:見通しの良い遺構観察、澄んだ空気の眺望
まとめ|鷺山城跡で戦国の歴史を感じよう
鷺山城跡は、戦国時代の梟雄・斎藤道三が晩年を過ごし、娘の濃姫が織田信長のもとへ嫁いだ歴史的に重要な場所です。文治年間の築城から約400年の歴史を持ち、土岐氏の支城、道三の隠居城、そして濃姫の嫁入りの舞台として、美濃国の歴史において重要な役割を果たしてきました。
標高68メートルの小高い山の上にある城跡からは、道三が築いた岐阜城を望むことができ、父子の対立や戦国の世の厳しさを追体験することができます。1556年の長良川の戦いで道三が討たれた後に廃城となりましたが、土塁や空堀、竪堀などの遺構は現在も残されており、往時の城の姿を偲ぶことができます。
現在は鷺山公園として整備されており、地元の方々に愛される憩いの場となっています。道三岩・濃姫岩、北野神社の道三慰霊碑など、ゆかりの史跡も残されており、戦国ファンにとっては見逃せないスポットです。説明板は少ないですが、事前に情報を調べてから訪れることで、より深く歴史を楽しむことができるでしょう。
岐阜城や道三塚、常在寺など、周辺には斎藤道三ゆかりのスポットが点在しています。鷺山城跡と合わせて巡ることで、「美濃の蝮」と呼ばれた戦国の梟雄の生涯をより深く理解することができます。また、濃姫ファンにとっては、彼女が織田家に嫁いでいった場所として感慨深いものがあるでしょう。岐阜を訪れた際には、ぜひ鷺山城跡に足を運び、戦国の歴史と浪漫に思いを馳せてみてください。
📝 鷺山城跡の基本情報まとめ
所在地:岐阜県岐阜市鷺山
標高:約68メートル
登城時間:約10分
見学料:無料
アクセス:JR岐阜駅からバス約20分+徒歩10分
駐車場:鷺山公民館駐車場、北野神社駐車場など
見どころ:城址碑、土塁、堀、道三岩・濃姫岩、岐阜城の眺望

コメント